hiroki’s blog

サッカーから学んだこと、自分の考えをを発信する

ブレずに、真っ直ぐに。

久しぶりの投稿。

この投稿をするのに随分と時間を費やした。

自分の伝えたいことを文章化して伝えることは本当に難しい。

頼む、伝わってくれ俺の気持ち。そして、活かされろこの文章。

 

 

 

他己評価と自己評価のどちらを大切にしていますか。

 

サッカーをやっている人にこの質問をすれば、誰もが「他己評価だ」と答えるのではないだろうか。私はそう答える。大切なのは間違えなく他己評価である。

 

というのも、サッカー界は他己評価で成り立っていて、サッカー以外のスポーツ界やビジネス界を見渡しても大体は他己評価で成り立っている。

サッカーで言えば、試合に出る11人に選ばれるのも、その選手たちを選ぶ監督になるのも、プロになるのも、大学に入るのも、すべて他己評価である。

ビジネス界でも企業に入る為には、面接をして人事部のお偉いさんに評価されないと入れない。これも他己評価である。

 

ということは、この社会において、他己評価とは絶対的なもので、それによって自分の進路が決定することさえある。だから、人は他己評価を気にするし、上げようとする。

 

 

 

他己評価が大切であることは、理解した。

しかし最近の私は、他己評価ではなく、自己評価を満足度・納得度の基準にしている。

今までは、他己評価によく頭を持っていかれ過ぎていた。

 

 

ではなぜ、私が自己評価を満足度の基準に変えたのかを話したいと思う。

 

大学に進学し、自分と向き合う時間が増え、他己評価を満足度の軸にしてしまうと自分がブレてしまうことに気がついた。

例えば、自分的には試合のパフォーマンスが悪かったと感じている。しかし、コーチ・戦友の評価は良い時がある。

つまり、自己評価はダメだったけど他己評価はよかった場合だ。

他己評価を満足度の基準にしていると、自分では良くないと感じている試合に対して、他人からは良く見えていることに焦点を当てて満足する。自分がダメだと思った部分に目を向けなくなってしまう。

 

自分が自分に対して思っている評価(自己評価)と他人が自分に対して思っている評価(他己評価)のギャップが多かれ少なかれ生じている。

もちろん、そのギャップがなければないほどいいとは思うが、そう簡単なものではない。

 

他人の評価だけを受け入れて、その評価を自分の満足度の軸にしてしまうと、自分の満足度・納得度が人によって変わってしまうことになる。

 

それに気がついて、私は自己評価を満足度・納得度の基準に変えた。

 

 

自分の満足度の軸を他人からの評価ではなく自分の評価に設定する。

もちろん自分に甘い人間やモチベーションの低い人間には適していないが、成長したいと常に考え、試行錯誤している人間には、ぜひこの設定をお勧めしたい。

 

 

最初にも話したけど、大切なのは確実に他己評価である。

それを勝ち取らなければ試合には出られない。上には上がれない。

そこから目を背けるわけではなく、自分が満足する納得することに関しては、自己評価を基準にする。そうすれば基準はブレずに、周りから左右されない。

そうやって、1日1日自分が納得する日々を送って行こうと思う。

 

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嗚呼、富士山みたいになりたい。