hiroki’s blog

サッカーから学んだこと、自分の考えをを発信する

さらなる高みへ

ピッピッピッーーーー

 

試合終了の笛と同時に歓声が沸き起こる。

勝った選手は各々に喜びを表現し、それが強調されるように負けた選手が泣き崩れ悔しがっている。

 

 

自分はベンチにいた。周りはベンチを飛び出し、抱き合っている。それにつられるように自分も飛び出し、喜びを露わにした。

 

 

最高に嬉しいはずの日本一。嬉しいし喜んでいるのに、どこか満足していない自分がそこにはいた。

日本一をとるという目標で望んだ大会であり、それは達成することができた。

もちろん達成感は大きい。でも納得はしていない。

 

 

 

 

日本一をとってから1日が経とうとしている。冷静になった今、自分の感情と向き合い見つめ直す作業をする。

 

 

日本一をとったが、それはアイリーグであって、トップチームの試合に出場機会がない選手で構成された大会である。

自分が目指しているのはそこではない。自分が目指している場所はもっともっと高いところにある。

 

明治のトップの試合に出場し、活躍するという直近の目標は達成されていない。

つまり日本一という結果はただの通過点にすぎない。もしくは分岐点であり、それを生かすも殺すも自分次第である。

 

 

 

日本一という一見輝かしい成績を背景に、俺は進んでいく。覚悟を持って。

 

 

今シーズンも残りわずか。幸いにも2つの全国大会が残っている。

さあ、駆け上がれ。誰もいない高みまで。

何気ない日常の幸せさ

 

冬の訪れを強く感じる今日この頃。綺麗に紅葉した葉が今か今かと親元を離れていく。

 先日、養育家庭体験発表会に参加させて頂きました。今回はそこで学んだことや感じたことを載せ、少しでも多くの人に養育家庭制度のことに興味を持って頂けたら嬉しく思います。

 養育家庭制度とは

東京都には、親のいない子どもや、親がいても様々な事情で家庭で生活できない子どもが約4千人います。(全国では約4万5千人)

そんな子どもたちを家庭に代わり公的に育てる仕組みを『社会的養護』と呼んでいます。

社会的養護の中には、より家庭に近い環境で子どもを育てる家庭的養護と、児童養護施設などの施設養護の2種類あります。

養育家庭制度とは家庭的養護の代表的なもので、 ”養子縁組を目的とせず”、一定期間、自分の家庭で養育するという制度です。

東京都では、この制度を親しみやすく、かつ多くの人に覚えてもらう為に、「ほっとファミリー」という愛称で呼んでいます。

 

 養育家庭体験発表会 

今回の養育家庭体験発表会では、過去に養育家庭(里親)を利用した方と、現在養育家庭として子どもを預かっている方のお話を聞きました。

前者の方は、里親さんに怒られたことで、初めて愛情を感じ、よく大人が口にする「あなたの為を思って怒っているのよ」という言葉の意味を18歳になって、ようやく理解する事が出来たと仰っていました。また、愛されていると感じることで自分の存在価値を生み出す事ができ、生きるすべを教えてもらったと仰っていました。

 

後者の方は、養育家庭になるには家族全員の同意が必要で、この制度を理解してもらうことにはかなり時間を要したと仰っていました。というのも、その方には実子がいた為、その子たちがかわいそうではないかという意見があったそうですが、養育家庭をしている方のお話を実際に聞いたりして、家族全員の同意が得られたそうです。その後、養育家庭として認定され、心配されていた実子がかわいそうという問題に対しては、初めて子供を迎え入れると子ども達は家族が増えたと喜んだそうで、家族のみんなに笑顔が増え、より明るい家庭になったと仰っていました。

 

 

どちらの方も養育家庭制度を通じて「何気ない日常がいかに幸せか」と思うようになったと、なんども口にしていました。

 

 

当たり前のように、家族がいること。

当たり前のように、帰る場所があること。

当たり前のように、大学へ通わせてもらってること。

当たり前のように

 

 

何気なく過ぎ行く毎日に、どれだけの幸せを感じ、どれだけ感謝して生活できているか。

そんなことを考えさせられました。

 

 

 

 里親が増えることを願って

普段生活していて当たり前なことって、自分にとっては当たり前でも、当たり前じゃない人だっている。

だからこそ、自分が当たり前だと思っていることにも幸せを感じ、それを体現していくべきではないだろうか。

 

 

逆光に立たされたって前向きに進もうとする子ども、多少逸れたってどうにでも修正できる子どもを、全力でサポートし、愛情を注ぎ、立派な大人への繋ぎをする人。それが里親である。

戸籍上は家族ではないけど、家族以上の関係がそこにはあるとお話を聞いて感じる事が出来た。

 

まだまだ里親の数が足りない状況で、愛情を得られないまま成長していく子どもも多いという。

だから、家庭養育制度のことをもっともっとたくさんの方に知っていただき、里親になる人が増えることを願いたい。このプログを読んで養育家庭制度に興味を持ち、もっと詳しい情報が知りたい方は下記のURLを参考にして下さい。私が参加した養育家庭体験発表会の今後の開催予定も確認できます。

 

ご拝読頂き、ありがとうございます。

 

ほっとファミリーのページ 東京都福祉保健局

御節介という名の愛情

近頃のTOKYOの朝夕は冷え、日中は太陽で暖く、寒暖差が大きい。そのおかげで体調を崩している人も多いのではないだろうか。私もその一人である。

 

季節の変わり目によく体調を崩す私には、ある説が浮上してきた。「元気に運動すると免疫力が高まり、風邪をひきにくくなる。とよく言われているが、私のように毎日強度の高い運動をしている人、逆に免疫力弱い説。」

どうだろう、共感する人がいたら嬉しく思う。運動部だから「風邪なんて引かないでしょ。」なんて思わないでほしい。思ってないか笑

 


たわいも無い話はこの辺にしておいて、今日の本題に移ろう。

突然だが、「おせっかい」という言葉はご存知だろうか。

定義では、

御節介(おせっかい)…余計な世話をやくこと。他人の事に不必要に立ち入ること。【参考:広辞苑

ということらしい。特別難しい言葉ではなく、誰でも一度は使ったことがある言葉だろう。

 


自分が今まで出会った中で一番御節介だと思う人物は、私の母方の祖母である。

 

名前は七百子(なおこ)。少し七百子の紹介を。七百子は長崎県出身で1985年8月9日に長崎市へ投下された原子爆弾被爆者である。当時、10歳だった七百子は台湾に避難したり、食べる物が無かったり、当時の様子をよく語ってくれたが、今となっては忘れてしまった。

実家へ帰ったらもう一度しっかり聞いとかないと。もう被爆者本人から当時の様子を聞けるなんて、超貴重になってきてるからね。それまではボケないで待っててね!(祈る)

 

 

七百子はとにかく御節介で思春期の中学時代にはよく強く当たってしまったものだ。

 

御節介という言葉はネガティブに使われていて、自分もネガティブに捉えていた。だって当時はうっとおしく感じていたもん。

 

が、親元を離れ、寮生活に慣れた頃、ふとポジティブな要素のが多いんじゃないかって思うようになってきた。というか、定義からもわかるように受け手の捉え方によって御節介とい言葉は成立する。つまり、受け手が余計だと思っていなければそれは御節介ではない。

 

また、御節介って、よく考えればその人が好きだからこそ、その人の為になるからこそすることであって、どうでもいい人なんかに御節介はやかない。だからあの御節介って愛情だったんだって、この歳になって気づく事が出来た。早いのか遅いのか…

 

 

七百子からは時々手紙やメールが来る。メールが使える自慢のイマドキ婆ちゃんだ。メール1通に三箇所は「ん?」って思うとこはあるが…笑

 

最近のメールには「世界ツリーに行きたい」と打たれていた。おそらくスカイツリーの間違いだろう。打ち間違えたのか、本当に世界ツリーと思っているのか、はたまた世界ツリーというツリーがこの世に存在しているのかを深くは追求しないことにしよう。そんな勘違いが許される歳だし、何よりほっこりする。

 

 

今やっと気づけた七百子の”御節介という名の愛情”を、しっかり”ばあば孝行”という形に変えて返していきたい。

 

俺が連れてくよ、“世界ツリー🎄”

 

だからまだまだ元気で長生きしてくれること祈って、今回のブログを〆たいと思う。ではまた!!!

 

 

 

まとまりのない文章でしたが、最後までご拝読いただきありがとうございます。

一流とは?

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久しぶりにブログを書くことにする。

 

日本列島を縦断してきた巨大扇風機によって、寮は左右に揺らされ常に震度3の地震に侵されながら眠りにつき、起きたらゴールが長友佑都ばりのオーバラップを見せ、木々たちは車の通行を阻止しているように見える。テントは階段を登り逃げ出したかったんだろうが、私に捕まえられ鎖に繋がれた。父は停電したと優しく呟いた。

 

 

そんなことはさておき、一流ってこうゆう事かと改めて気付かされた出来事があったので、紹介しよう。

 

先日の試合で私はスタメン出場をしたが、前半のみのハーフタイムで交代することになった。不完全燃焼で自分に対する情けなさ、後悔、怒り、、、ざまざまな想いで自分の頭はいっぱいだった。後半が始まり、私はベンチ横でダウンする為にストレッチをしていた。その時も自分の頭の中にはプレーの事や交代させられた理由など自分のことばかり考えていた。

 

その時、監督に呼ばれ「ストレッチをしながら何をしてんだと。試合が1−1の接戦の状況でピッチの中にいるメンバーは本気で戦っている。お前は何やってるんだと。ピッチの中だけ頑張ればいいのは二流大学。うちはピッチ外でもチームの勝利の為にやれることを探し、その立場を全うする。そんな一流を目指している大学じゃないのか。」

 

わかっていた。11人しかピッチに立つことの出来ないサッカーだが、試合に出られない選手が自分のやるべきことを理解し、それを全力で全うする。それにこそ価値が生まれ、成長につながる。聞かれれば答えられるし、そうであるべきだと納得して取り組んでいるつもりであった。

 

だがその時は、自分のことしか頭になかった。スポーツをやるものなら大体気持ちは理解できるだろう。頭が硬いんだよなー。

 

その時にチームの為に何ができるかって考えていたら、仲間を鼓舞し励ましベンチから声を出し続けることしかできないのだ。チームの一員として戦うにはそれしかないのだ。だって交代してるもん。

 

言われてからであったがチームの勝利の為にやれることをやりきった。言われてからやるじゃ、まだまだ二流だよね。

 

 

 

この出来事が起きてまだまだ自分のことしか考えていない、考えられていないことがよくわかった。オフザピッチの部分だけじゃなくて、オンザピッチのプレーの部分を取り除いても、自分のしたいプレーしかしてないし、それが課題であることに気づくことができた。

 

一流とは自分で今やるべきことを的確に判断でき、それを本気で実行に移せる人のことである。常一刻と変わりまくってる今日この世界で状況が変わってもブレずにやるべきことを見出せる、そして実行する。それが今求められている一流像だ。

 

「オフザピッチが変われば絶対にサッカーが上手くなるしプレーが変わる。」

嘘のようで本当のはなし。今はこれを信じて突き進むしかない。

 

さあ、巨大扇風機よ、今度は私を前へ上へ飛ばしておくれ✌️✌️✌️

あなたならどうやってお金を稼ぐ?

こんばんは。ひろきです。

 

突然ですが、現在、私は大学生の9割がしているというアルバイトをしていません。私が所属する明治大学サッカー部は、サッカーだけをやっていればOKという組織ではなく、サッカーに打ち込むのはもちろんのこと、勉学にもしっかり励むというコンセプトで運営されています。その兼ね合いで、原則アルバイトが禁止されています。アルバイト以外で大学生でしかできないこと(今を大切に)をたくさんやるようにというメッセージだと思っています。だからこそ「今しかできないことは何か」を常に考え、行動しています。

 

とはいっても、親からのありがたい仕送りだけに頼ってるわけにもいけませんし、遊ぶためのお金や欲しいものを買うためのお金が必要なわけです。さて、皆さんはアルバイトができない状況だったら、どうやってお金を稼ぎますか。考えてみて下さい。私は考えれば考えるほど自分の想像力の乏しさが露呈され、知識の無さを実感しました。でもアルバイトではなく違う方法を見つけてお金を稼ぐことができれば、もっと楽しく大きなお金を稼げるのではないかと、ポジティブな見解もできますよね。(見つかればの話ですが…)

 

今回はアルバイトができないという状況で、いかにしてお金を稼ぐか(案)。について書いていこうと思います。自分の脳をフル回転させて考えている案を紹介したいと思います。そして、読者さんの考える案も聞いてみたいと思っています。こんなのどうかななどしょうもない事でも結構ですので、想像力を豊かにして考えて、コメントしていただけたら光栄です。

 

まず自分が考えた案は、誰もが思いつくであろう仮想通貨。長い目でみれば稼げるのかもしれませんが、すぐにお金が入るというのはなかなか難しいのではないかな、と思います。又、仮想通貨を買うためには初期投資が必要で、リスクも高いのではないかと思います。

 

次の案は、歌舞伎町のホストクラブから出てくる社長令嬢的なお金持ちそうなマダムに気に入ってもらう。この案はなかなかのお気に入りです。欲しいものを買ってもらえたり、美味しい食事に行けたり...想像したらウキウキしました。しかし、そんな都合のいい話はないですし、怖いので即却下です。

 

僕が1番いいなと思う案は、デザイナーやデザイナーになりたくて勉強している人と手を組んで、独自のブランドを立ち上げること!これは得意分野をそれぞれ活かすことができます。というのも私は体育会ですし、営業には向いている自信があります(謎の自信)。そこで、デザインしてものを作るのがデザイナーの仕事、店などにおいてもらうよう営業するのが私の仕事。というように得意分野を活かし合うことでうまくいくのではないかと思っています。私はファッションにも興味があるので、自分のブランドを持てるなんて最高な話ですよね。

 

ブランドを立ち上げることがどれだけ大変かはわかりませんし、知識もありませんが、そういった無謀な挑戦をできるのも大学生ならではのことだと思います。

 

「当たって砕けろ」皆さんも想像を膨らませてみてはいかがでしょうか。以外にワクワクして、楽しいと思います。

想像はできても行動に移すのはすごい難しいことです。まずは、自分の知力を磨くこと。そこから始まると思います。本をいっぱい読みます!オススメの本がありましたら、紹介して下さい!!

 

拙い文章でしたが、最後までご拝読頂きありがとうございます!

 

追伸

自分のブランドを作りたいデザイナーの方、一緒に夢を語ってみませんか。

自分のブランドを作り成功した方、その経験談をぜひ教えて下さい。

はじめに。

こんばんは。

現在、明治大学2年のひろきです。大学生のうちに発信する能力をつけたい、何か社会に訴えることがしたい、そこから何かを学びたい、そしてそこからたくさんの人との関わりを増やしたい。と、やたら貪欲に向上心を持っていてブログを書くことに決めました。とは言っても、ブログに関しては生粋の初心者ですので、徐々にレベルアップしていきたいなと思っております!!

何か気になる点や気づいた点など、自分が成長する材料だと考えているので、どしどしコメントください!

 

はじめに、私の自己紹介をしたいと思います。

私は1998年4月5日に愛知県で生まれました。3人姉弟の末っ子で、お腹にいる9ヶ月目まで女の子だと医者の方から言われていました。当時、既に名前は決めていたらしく「りか」ちゃんだったそうです。生まれてきてびっくり仰天!男の子だったわけです。

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幼稚園から現在も続けているサッカーに興味を持ち、サッカーをしたらモテるという思い込みがキッカケでサッカーを始めました。

小・中学校は地元の学校へ通い、とにかく目立ちたがり屋で目立つことならなんでも頑張っていました(笑)例えば、小学校の持久走大会では6年連続1位+新記録保持者👏🏻や児童会長や生徒会長など舞台に立って生徒の前で話せることがとにかくうきうきしてやっていました。そんな感じで地元では知らない人はいない(自称)元気な少年でした。

高校は、サッカーで県外に出るのはかっこいいというとっかかりから、静岡の名門藤枝東高校(記憶にも新しいロシアW杯でも活躍していた元日本代表主将 長谷部誠さんの母校)に進学しました。大した選抜歴などがない無名の選手だった私でしたが、あるコーチのDFからFWへのコンバート(スポーツにおいて、選手のポジションを転向させること)により、ブレイクを果たします。1年の夏からはトップチームでプレイし、選手権に出場しました。2年次には高校でサッカーをしている全ての選手の憧れである、選手権の全国の舞台も経験しました。3年次は主将として非常に苦しんだ1年になりましたが、たくさんのことを学び、吸収し、その経験は本当に大きな財産となっています。

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大学は日本一の組織であり、レベルの高い選手が集う明治大学サッカー部に駒を進めました。もちろん平凡な自分がすぐに試合に出られるわけがありません。まだまだ課題が多い中でどうブレイクするか考え、葛藤中であります。

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長々と自己紹介をしてきましたが、私のことを少しでも興味を持っていただけたら光栄です。

このブログを通して、現役大学生にしかわからないことや大学サッカーの現状を主に発信できたらなと思っています。

 

拙い文章でしたが、最後までご拝読頂きありがとうございます!

次回もお楽しみに!!!